< 一、いつもの日常 >========================================================== 「…こんにちは。」 話かけてみた。「その子」は待っていたかのように、抱き付いてくる。 (…あぁ。そうか) ゆっくり抱きしめてやる。すると満足そうに笑みが零れた。 (…大事にしてあげよう) 気付くと、一人身勝手に決心していた。 ==はじまり== 眠たい頭を起こしながら、目覚まし時計の時間を確認する。いつもの「仕事の時間」だ。 普段から着ている制服に腕を通し、鞄を抱え、急いで駅のホームへ向かう。 「お、今日は遅れなかったんだ。偉いっ♪」 急に声をかけられ、少しげんなりする。 「…何だ、その言い方。」 不機嫌に返すと、少し笑いながら言い返してきた。 「だって、キミは寝坊しそうになって、大概予鈴なる前ぎりぎりに来るからねぇ…」 「…あっそ」 適当に話をきって、電車の窓の外の景色をぼぉっと見る。 …この五月蠅いのが、國府田巳紅(こうだみく)。何やら俺に関わるのが楽しいそうだ。 よく分からんが、見る人には「彼氏と彼女」っぽく見えて微笑ましいらしい。 俺は砂原帆(さわらかい)。今の世界…というか、現状がどうでもいい只の高校生。 そんな事を誰かに言おうもんなら、訳の分からない叱咤激励されるだけで迷惑なので、 適当に併せておく。 「…また乗り過ごすぞ?」 ぽつっと呟かれ、降りる駅を確認し、間もなく降りて学校へ向かう。 (…今日は何して暇潰すかな…絵を描くか、小説書くか…または…) そんな事考えながら自分の席でチャイムを待つ。 よく「真面目に授業受けたら?」と言われるが、俺自身は卒業出来ればそれで良い、 と思っている。だから、学業に身なんか入る訳がない。 ましてや、親に大学に行けと口酸っぱく言われるのだから、反抗心くらい持ち上がってくる。 …専門行きたいと言えば即座に却下されるし。何を言われようと、専門学校に行くつもりだが。 そんないきさつもあり、平均並み…赤点にならない程度の成績が取れれば、 後は俺はどうでもよかった。…ただ、時間を無駄にするのも何なので、 好きな事に興じる事にしている。 中学の頃は塾もあったし、時間もあまりなかった。せいぜい睡眠時間を削って、ゲームを する程度。友達…は特に居なかった。あの頃はいじめられてたし、 教師も訳の分からない奴ばかりだったから、「いちおう」通ってただけだった。 塾は…元々憧れていた生徒会長と同じ塾に入れたというのもあり、真面目に授業を受けていた。 なぜなら……地元の高校には中学の頃のいじめてた奴等が行くのが既に分かってた為、 絶対に通いたくなかったからだ。 そんな二年前の高校受験の事を思いだしてると、授業がはじまった。 (…良い天気だな) 窓の外をちらりと見た後、おもむろにノートを取りだし、黒板とは違うものを書き始めた… …ふと気が付くと、チャイムが鳴っていた。 開始と終了時に、うちの学校では礼を行うことになっている。面倒だが、 授業を受けたかのように俺も礼をして、授業は終わり昼休みになった。 いつも通り学食のパンを先に獲得する為に階段を駆け降り、目的の物を手に入れ、 屋上…は開いて無い為、教室へ戻る。 「お、コロッケパン旨そうだな…じゅる。」 「…自分の弁当食べろよ」 狙われつつもさっさとパンを頬張る。 巳紅は普段から弁当なので、昼飯の心配は無いようだ。俺は作るのが面倒だから、 いつも購買のパン戦争なのだが。そして、程なく二人とも食べ終わり、雑談へと移る。 「…帆。竜の絵、描いて〜♪」 「またかよ…」 溜め息をつきながら、スケッチブックと筆記用具を取り出す。 「…今日は何がご所望ですか」 少し嫌味っぽく言う。巳紅は完全に無視して楽しげに続ける。 「えーと…お任せ」 「何だそれ…」 頭を掻きながら、少し考え込む。ちらりと見ると、何やら楽しそうに スケッチブックを覗き込んでいる。 (…からかうのか何なのかハッキリしろよ…) そんな事言うと、確実に大騒ぎされるので、素直に描き始める。 …始めはただの丸や四角。消しゴムで消しながら段々と竜の形を象って行く。 ある程度整ったところで、細部に手を入れていく…。 「…これで良いか?」 スケッチブックを巳紅へ渡す。どうやらお気に召したらしい。 「帆、ありがと〜♪」 適当に手を振っていたら、急に真面目な顔になり…。 「…ちゃんと描けば上手いのに。授業で手抜きしすぎー。」 「さいですか。俺は評価どうでもいいの。」 言われたくない事は適当に聞き流し、さっさと筆記用具をしまう。 「たまにはちゃんと何か書いたら?」 「学校以外で…そのうち。」 事も無げに言い放つと、チャイムが鳴り、午後の授業が始まった。 目立った事もなく、帰路につき、パソコンのメール確認をし、 風呂に入ってからベットに潜り込む。 …いつもと変わらない日常。ただ、少しづつ変わり始めていた。 ==出会い== いつもと同じ時間に起きると、普段より部屋が冷えているのに気付く。 (雪でも降ってんのかな…) 外を見ると、雲一つない晴天。不思議に思いながらも身支度を整える。 「…珍しく巳紅にも会わなかったな…」 一人呟き、駅から学校へ向かう途中、「何か」がぶつかってきた。 思わず避け切れずぶつかってしまう。 「すみません…」 こういう時はさっさと謝るに限る。下手に面倒起こすと……。 遅刻と巳紅の説教という二重奏があるからだ。 すると、尻餅をつきながら、悪態を付く声が聞こえる。 「前、見ろよナ。」 そう言い終わった所で、「何か」は走って去って行く。こちらも、 適度に埃を払い鞄を取ると、急いで学校へ向かう。 「遅いっ!」 お約束のように巳紅に怒鳴られる。半ば諦めたように聞き流しながら、 いつもの一日が始まった。…ほんの少し違う形で。 授業もすべて終わり、帰宅準備をしていると…。 「帆、今日は買い物に付き合って〜♪」 巳紅が猫なで声で話掛けてきた。…こういう時はいつも良い事がない。 「ヤダ。」 「うわ、即答っ!?」 「…ろくな所じゃないだろ。」 さらっと突っ込むと、分かり易く困惑する。 「…いやぁ、新しいアクセサリー屋が…」 「またアンティークか…」 溜め息をつきつつも、こういう所は普通な事に少し笑う。 「ちらっと見たけど、店員が怖いし…頼むっ!」 仕方なくついて行くと、如何にも怪しげな店に到着。 「…やっぱ帰る」 くるりと踵を返すと、巳紅に背中にしがみつかれた。 諦めて店に入って行くと、深々とフードを被るようにコートを着ている人影が見えた。 「…いらっしゃい」 小さく店員は呟くと、何もなかったかのように本を読み耽る。 (…今迄でNo.1の怪しさだな…) そんな事考えつつ、嬉々として品を選ぶ巳紅を待つ。 暇なので、自分も適当に見定めていると、一つ…気になる指環を見つけた。 輪に絡み付くように施された二対の竜。 お互いを見つめるように向き合い、何やら不思議な感情でもこもっているかのようだった。 「帆も何か買うの?」 見ている合間に、巳紅は目的の用事を済ませたらしい。 「…たまには何か買うのも良いか。」 「珍しい…嫌いじゃなかったの〜?」 文句は聞かなかった事にし、指環を購入して帰路につく。 (…何で買ったんだろうなぁ…) 自分でもよく分からないまま、指環を着けて少し仮眠をとる。 (………) 気がつくと夜になっていた。着替えを持って風呂へ向かう。 ……指環が碧く光っていた事に、この時は気付かなかった。 シャワーを浴びながら、今日購入した左手の指環を見つめる。 (…あれ?少しさっきと違うような…) 一瞬、竜の瞳が碧く明滅した気がしたのだが……。 気のせいだと思いつつも、まじまじと見つめるが、何も変化は見られない。 「……まぁ、良いか。」 気にしない事にして、バスタブに湯を溜めている間に体を洗う。 体を洗い終わり、適度に髪の水気を切った後、ほどよく湯の溜まったバスタブの中に、 お気に入りの入浴剤を入れてから浸かる。 (元々発泡するヤツだけど……何かいつもより泡が凄いような……) 普段なら、体に少しまとわりつく位の泡が、今やバスタブ全体に及んでいる。 ……何かがおかしいのに気付くのには少々遅かった。段々と自分の体が沈んでいく 感覚に捕らわれる。藻掻いても抜け出すことが出来ない。縁に捕まり踏ん張るが、 それもいつまで持つかの問題だ。更に今日に限って、この時間は家に誰も居ない上に 携帯を自室へ置いてきた事を後悔する。 こんな状況で救急車を呼んでも、間に合うか疑問だが。 (風呂場で溺死…裸はイヤだなぁ…せめて何か着てから……) 危機が迫ってるにも関わらず、しょうもないそんな事を暢気に考える余裕も出来てきた。 あと半分も埋まれば、顔もバスタブの中だ。手探りで風呂の栓を探すが、何故か見つからない。 飲むにしても、この量だからどちらにせよ無理だ。 ……あぁ、その前に入浴剤が入ってるから無理か。 そんな事を考えてると、顔が水に沈んで息が苦しくなり、俺は気を失った。気を失う直前、 指環が光った気がしたが、良く覚えていない。 気が付くと、湯の完全に抜けたバスタブの中に居た。栓が抜けたのか…とも思ったが、 完全に抜けてから、何かの拍子にまた栓をしたとは考えにくい。第一、俺が入ったままだ。 風呂場の時計を見ると、どうやら2時間ほど経ってしまったようだ。 湯冷めした体をもう一度シャワーを浴びて暖めてから、着替えて自室へ戻る。 (…とりあえず溺死は免れた…裸で死ぬのは御免被りたい…) そんな事を考えつつ、暖めた体をベッドに滑り込ませると、すぐに眠気が襲ってきた。 少ししてからだろうか。頭が冴えたままなので、時計を確認する。朝の2時。 ……おかしい。台所まで行って、適当に冷蔵庫にあった飲み物を飲み干した時点で気付く。 今の時間、家族はそれぞれの部屋で寝てるはずなのだが、覗いても誰も居ないのだ。 (カラオケか呑みにでも行ってるのか…?それならメール位するよな……) 何の新着メールも無い自分の携帯を見て、更に不思議に思う。何気なく、夜はいつも 閉めているカーテンを開けてみた。月がいつもより巨大で……紅かった。 外の景色も見たことが無い。……納得出来ずに、ぼーっと少し考えてみる。 (何だこれは……。部屋は同じなのに……) 部屋の中を見回すと、いつもの風景が広がっている。自室に戻った頃、メールが届いた。 ようやくほんの一欠片の日常が戻った安心で、半ば少々浮かれ気味にメールを開く。 そして、中身を見て絶句した。 『巳紅だけど……。帆は今、何処?』 『俺にも良く分からん』 そう返して、携帯を置く。すぐに電話が掛かってきた。 「とりあえず、帆の家に行くね。」 「…了解。」 少し待つと、ドアを叩く音がしたので開けてやると、不安そうな顔をした巳紅だった。 「ドアホン、音鳴らなかったよ。」 「電話関係以外は機械、使えないみたいだな。」 片手で携帯電話を弄びながら、呟いてみる。自宅の電話も何処かへ繋がるか試したが、 どうも繋がらなかった。警察も消防も駄目。巳紅の家は試していない。 俺の家と巳紅の家は、一駅ほどしか離れていない。自転車で飛ばせば20分もあれば着く。 「…巳紅は、溺れ掛けなかったのか?」 ちょっと気になったので聞いてみる。だが、不思議そうに首を傾げて、 「何それ。何かドジでもしたんだ〜?」 妙な視線が痛いので、余所見しつつ指環を見てみる。すると、二対の竜の目が うっすらと碧く輝いており、それぞれの竜の鱗の溝を沿うように、尾まで光りが零れている。 「巳紅……。今日買ったの、持ってるか?」 「あぁ。これね……何か変なんだよね。」 右腕をこちらへ出すと、紅く光る瞳を持った竜が施されている腕輪が見えた。 今回購入したのはこれらしい。やはり、指輪と同じようにうっすらと輝いている。 ……こちらは、紅く。 「埒があかないから、駅に行ってみるか。」 「…まぁ、誰か居そうな所、ね。了解。」 一旦自室に戻りドアを閉めて、私服に着替えてから外に出る。 「せめて、来る前に着替えようよ…。」 そんな巳紅の愚痴を無視して、駅に辿り着いたが……駅員さえ居ない。 電車も動いている気配は無い。電光掲示板は消えたままだ。 駅の売店には品物はあるが、誰も居ない。良いのかこれで、と言いたくなるが、 まだ状況さえも把握してないので、放っておく。…段々余裕が出来たのかもしれない。 「おぉ、電車ただ乗りっ!?売店の品が食べ放題っ!?」 「……どうでもいい上に、やるんじゃない。」 巳紅の一言をとりあえず即座に却下してから、駅の周りを見渡す。何も居ない。 タクシーやバスは留まっているのだが、誰も乗って居ない。人が居ない。 どうしようか思案していると……遠くから地響きが聞こえた気がした。 「何か……揺れなかった?」 「気のせいだろ。」 そうは言いつつも、地響きの主が気になり始めてくる。「それ」は段々こちらへと 近付いてくるようだ。近付けば近付くほど、指輪と腕輪の輝きが増していく。 (……何が何だか分からなくなってきたな……。) 一人そう物思いに耽りつつ、駅の外で空を見上げる。 <……クルヨ> 「……え?」 思わず巳紅の方を見るが、巳紅は何やら券売機を弄っている。 指輪が更に碧く輝くと、地響きの主が現れた。 ……「それ」は、普段俺が「ドラゴン」と呼んでいるものだった。